ミオのイチゴ・いちえ

人生は一期一会、一世紀の4分の3を生きて思うことを書いてみようと思いました。

幸せの国デンマーク・その2

 

ナチスドイツ北欧大侵略』 なぜデンマークはそういとも簡単に国境を明け渡したのか?

1939年、デンマークとドイツは不可侵条約を結んだ。だからその1年後、よもやドイツ軍が国境を破って侵入するとは考えていなかった。お人よし!楽天家!それがデンマーク人の気質かな!とも思ってしまうが。それにしても不可侵条約を違反したわけなのに、デンマーク国王、首相が抗議もせず、大した抵抗もせずにわずか数時間で降伏したのか、これはこの国デンマークの過去の歴史をさかのぼってみないとわからないことで、今後のシリーズで書くことにする。

ナチスドイツの占領下、『ヒットラーカナリア』と揶揄されたデンマーク人が素晴らしい働きをした。1943年8月、ナチスドイツ軍がデンマーク在住のユダヤ人を移送するという情報を地下組織のレジスタンスが知る。即座に地下組織(レジスタンス)が救援活動を計画、それを市民、デンマーク警察、教会、漁民等が積極的に協力した。そのおかげでわずか3週間という短時間の内にデンマーク在住のほぼすべて、7千人のユダヤ人と7百人のユダヤ人以外の親戚(ユダヤ人と結婚したデンマーク人家族など)を、秘かに各漁師町へ移動、匿い、小さな漁船で何艘も闇に紛れ、何度も往復してスウェーデンへ送り届けた。中立国であるスウェーデンは、難民として受け入れ終戦まで保護した。しかし約5百人のユダヤ人が捕らえられボヘミアのゲットーに移送された。デンマークは彼らの居所を突き止め強く抗議し、この5百名はアウシュビッツに移送されず生きて終戦を迎えた。

1943年8月以降ヨーロッパ中のユダヤ人を何カ所かのゲットーへ移動させるという悪夢が始まった。そして最終的には種の根絶(ホロコースト)、つまりアウシュビッツ強制収容所送りが行われた。

もしアンネの日記アンネ・フランクがオランダでなくデンマークにいたら、彼女の命は救われただろうとつい考えてしまう。

リトアニアの日本総領事だった杉原千畝氏は、同じ頃ユダヤ人のために日本行きのビザを発行し2139人の命を救った。『命のビザ』と呼ばれている。日本政府はドイツを怒らせたくなくて及び腰、杉原氏を叱責した。彼個人の責任で成し遂げた偉業だ。

ユダヤ人を救った動物園・ヤンとアントニカ物語』これは映画になり、私もこの映画を見たが、ポーランドでの話だ。私設の動物園の夫婦が3百人のユダヤ人を園内の地下にかくまって守り抜いた。

個々にはユダヤ人を守る人たちがいたが、国を挙げて組織的に、しかも国民の民意によってユダヤ人のほぼ全員を助けたのはデンマークだけだ。         

f:id:asaokamio:20210522194552j:plainアンネ・フランク

 

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アウシュビッツ強制収容所